「KAT-TUNは何がダメだったのか」について思うこと

KAT-TUNは何がダメだったのか?」

 

最近覗いているチャンネルの動画の1つにこんなタイトルのものがありました。

1年くらい前の動画みたいです。

 

このチャンネルはジャニーズのことについて、炎上、賛否、いろいろと覚悟の上で、動画主さんと該当Gのファンの方たちが雑談?するようなスタイル。わりとJr.とか、若手Gのことが話題になることが多くて、「そんなことが起きてるんだ」「そんな意見があるんだ」と思いながら見て?聞いて?ます。個人の見解を話してるので、かなり辛辣な意見が多い印象です。

どれほどボロカスに言われてんだろと恐る恐る見てみたけど、この動画に関しては動画主さんがKAT-TUNにそれほど詳しくないということもあってか比較的下げ意見や弄りも少なめだったように感じました。私も真剣に考えながら聞いちゃったくらい。

 

「ダメだった」かぁ…。なかなかグサっとくるタイトルです。

そもそもまだ存在してるから、「ダメだった」と表現されるのはしんどい…笑 

(「学べること」って表現もしてくれていた)

私も含めてだけど、ファンのなかでも過去のことが時間の経過とともにだいぶ美化されてる感じがあるからなぁ…。笑 そして、SNSもない時代だったし、私自身忙しくてKAT-TUNをそこまで熱心に追えていなかった時期でもあるので詳しく知ってるわけでもないんだけど、私が思うこと少しだけ。

 

 

 

その動画で、KAT-TUNファンではないけど当時を知るジャニオタさんが話してくれていたのは、6人のKAT-TUNはとにかくすごくかった(今のキンプリかそれ以上)。けどそれ以上にファンが今では考えられないくらい過激ですごかった。さらにスケジュールも過密でストレスとかからやり甲斐みたいなものが見出せなかったんじゃないかってこと。と、メンバーの不仲説。

 

時代が違うから比較するのは難しいけど、勢いや人気で言えばキンプリ以上だったかなぁと私も思う。事務所がKAT-TUNを推していたとかそんなんではなく、KAT-TUNを求める熱量がすごかったような感じ。どちらかというと嵐の勢いの方が似ているイメージです。

デビュー前から東京ドーム公演と、シングル、アルバム、DVD同時発売でランキング独占。オリジナル曲がありすぎてデビューなのにベストアルバムだし、デビュー前のライブのセトリも全部オリジナル曲。当時は「KAT-TUN最強!!!」ってただただ興奮してたけど、冷静になると相当すごいこと。

そして、グループの個性もなかなかで。仁亀はもちろん、坊主の人、ボイパやる人と、なんとなく「あ、あの人がいるグループね」的な感じで浅いけど広く認知されていたと思う。ダメージジーンズにブーツ、ファー、サングラスで見た目の印象もジャニーズの印象からはかけ離れていて、話題性も抜群でした。

2005年の亀梨君はほんとに忙しくて、休みが1日?しかなかったって言ってたかな…ガリガリで肌荒れも酷くて心配した記憶があるし、今見ても心配になる。事務所も亀梨くんにかなりの期待とプレッシャーをかけていたんだなと思うと、19歳の青年1人にあんな大きなプレッシャーをかけるなんて残酷だよ…。どうにかうまくいったから良かったけど…。

 

ファンの質が悪かったのも事実。

コンサートに行ったことはなかったし、田舎に住んでたからヤラカシといわれる人たちを見たこともないです。暴走族にメンバーを追っかけさせてたってのはこの動画で初めて知ったけど、でも当時掲示板(←笑)で見たのはなかなかひどい様子だった。人としてヤバい。赤西くんがジャニウェブ「ヤラカシ、うぜぇ」って注意?してたけど、止まらなかったと思う。今思えば、もっと事務所がタレントを守れよってすごく思う。

 

メンバー不仲説は、これはわからないけどそれなりの関係だったと思う。し、MVメイキングの様子を見ても不仲には見えない。けど、20代の男が6人も集まれば喧嘩もするだろうから組み合わせによってはギスギスして見えるときがあるのは仕方ないんじゃないかとも思う。少なくとも「僕たちなかよしーっ!!」って感じではないから、他のGと比べて不仲に見えるのは仕方ないのかなと。

 

 

ところで、「KAT-TUNがダメだった」とは?

当時の勢いを保てなかった…

失速してしまった…

メンバーが3人も抜けた…

こんな感じ?

 

赤西君の留学が急ブレーキになったのは間違いないと思う。そこからのメンバーの脱退も大きなダメージになりました。

なんなら、これ以外に原因なんかない。

 

仁くんの留学に関してはいろんな説があるけど、アメリカに行ってたのは事実だと思う。亀梨くんが会いに行っただか、連絡取り合ってただかってなんか雑誌に書いてなかったっけ…忘れちゃった。まぁでも実際、復帰後にテレビでネイティブの方と話す機会をちょこちょこ見たけど、ちゃんと会話ができていた(←たぶん笑)し、今の活動を見ると英語を学びたかったのは事実だと思う。何より自分のことを誰も知らない場所に逃げたくなったんじゃないかなっていうの説はかなりわかる。

留学から戻ってきた3年後に赤西君がグループを脱退、さらに3年後に聖君が解雇、そのさらに3年後に田口君がグループ脱退。まじ、怒涛の10年間です。

デビューしてから10年で、3人抜けるってどういうことか?その度にグループの仕事がほぼ白紙になるということ。KAT-TUNの場合は、だいたい3年に一回。どうにか立て直そうとしてるタイミングでもあり、グループの仕事もメンバー間のバランスもだいたい落ち着いてきたねってタイミングでのメンバー脱退。

すごく悲しかったし、心がすり減る思いでした。ファンですらそう感じてるから、メンバーはどんだけしんどかっただろうと思ってしまう。応援していくのがしんどすぎて降りるファンもいたし、抜けていったメンバーと共にグループから離れていったファンもいた。そんな状況だったから新規ファンの獲得なんか難しすぎる。

簡単に比較はできないし、比較すべきでもないかもしれないけど、NEWSもメンバー変遷が数回あったGです。6→4人になったときの衝撃はかなり大きかったと思いますが、それでも10年近く4人で活動し着々とファンを増やしていました。

グループが成長していく、新規ファンを獲得して大きくなっていくには、グループが安定している(そう見えている)ことが重要なんだと痛感しました。

 

 

今回話題にしている動画主さんが書いたと思われるブログも読んだことがあります。2015年、田口君の脱退が発表になったときに書かれたものです。

そこには、個々人の意思や目標、方向性の違いを指摘していたのは前提で、「そもそもKAT-TUNの勢いに頼りすぎたプロモーション」「事務所はKAT-TUNを育てるつもりがあったのか」とも書かれていました。今までメンバーの脱退と事務所との関連性について考えたことなかったんだけど、事務所はKAT-TUNにどうなってほしかったんだろう?そりゃ、グループの勢いに任せてた部分はあったと思うけど、そんなことを考える暇もなかったってのが正直なところじゃないかな…。

 

とはいえ、ジャニーさんから「自分たちがカッコいいと思うモノをやりなさい」と言われていたKAT-TUN。あまりにも本人たちに任せすぎてしまったために、個人の考えや目標を揃えられず3人ものメンバーが抜けることになってしまったのか?事務所がもっと介入していれば脱退者を出さずにデビュー当時の勢いを保つことができたのか?

デビュー当時のことを中丸くんが「この6人はそう長くは続かない気がしていた」と話していました。デビュー当時にそう感じたのはなぜだろうと考えたんだけど、個性が強すぎてまとまらないのは前提として、メンバーそれぞれが成熟しすぎてしまっていたのかなぁと思って。方向性を模索してる人もいたけど、2008年、2009年のライブではメンバーソロでそれぞれが見せたい世界観がしっかりしていたのが印象的でした。個人がやりたいことや見せたいものがしっかりとしていればするほど、グループの方向性と合わなくなっていったり、独り立ちしたいっていう思いが強くなっていったりするものなのかなって思うんです。メンバーの仲が悪いとか、我が強くてうまくいかなかったとか言われていたけど、そんな表面的なことではない気がしました。

「あの時代に、あの6人が揃ったことが奇跡」ってよく目にします。『いや、そんなキレイな美談みたいにする?こうなってしまった原因があるはずだ』と思っていろいろ考えてみたけど、やっぱり事務所がどうこうできるものではなかったのかなぁ…という結論に至ってしまった。

仮に、グループや個人の活動について事務所が強めに関与するようになっていたら…きっとKAT-TUNのあのヒリヒリするような空気感も、ド派手なライブ演出やカッコいい衣装も楽曲も、"KAT-TUNらしさ"と表現されるカッコよさも、全て生まれなかったんではないかと思うんです。

角度を変えれば、事務所は6人が考える”かっこいいKAT-TUN”を信頼していたんじゃないか、という見方もできます。個人の行き過ぎたプライベートについては注意したり制限したり口出ししてたと思うけど(←笑)、事務所がデビュー後の彼らを育てようとか、そんなことはあまり考えていなかったんじゃないか?

(そう考えると5人になってからやや爽やか路線に走ったけど、あれは本人たちの意向だったんだろうか?もし事務所の意向、もしくは本人たちが事務所に助けを求めた結果だったのならなんとなく意味はわかる。だってイマイチだったから…笑)

 

 

赤西君が抜けなければどうなっていただろうと考えることがあります。

当時の事務所は、今よりもずっと閉鎖的で自由が利かなかったから、流動的な活動を求めていた赤西君が結局グループを抜けることになったのだけど。赤西君の様子から、グループ抜けたいんだなと当時は思いながら見ていたけど、今思えば事務所から抜けるよう指示があったのかなぁと思う。抜けてから数年は赤西君に対してマイナスの感情しかなかったけど、着実にやりたいことを実現しかっこいい作品を作っていってる彼の活動を見ると、すごいなという言葉しか出てこない。

YOU&J世代はここ数年でかなりジャニーズ事務所を退所しています。そのメンツは事務所の看板的な人たちばかり。それだけ大きなものを背負ってきたからこそ成熟していくし、やりたいことが明確になっていくから事務所の所属タレントとしては窮屈になっていくような気がして。

この流れは赤西君の前例があったからこそなのかな…ってのは私のうがった見方なのかもしれないので気にしないでください。

 

KAT-TUNがデビューした2006年、年長組の中丸君と上田君は22歳、最年少の亀梨君は20歳でした。そこから10年経ち、充電期間を迎えるころには全員が30代になっていました。アイドルとして一番いい時期である20代を安定して過ごせなかったなんて。

こんな残酷なことはあるだろうか。

悔しいし虚しい。

 

長々と書いてきたけど、結論は「あの6人が集まったことが奇跡」という、擦りに擦られた言葉にたどり着いてしまいました。やっぱり、メンバーの増減はないほうがいい!グループ活動はそこに尽きる!

 

KAT-TUNは今年デビュー15周年です。いろんな考えの人がいると思うけど、私はKAT-TUNが過去を認めてくれたから、「悔しいけどどの時代もよかったよね」と振り返ることができるようになったと感じています。

 現状としてはKAT-TUNを応援していて悔しいなと感じることのほうが多いんだけど、3人が守ってきた「KAT-TUN」というブランディングを信じて(?)、そこに恥じない応援をしていきたいです。

 

最後に…

KAT-TUNはいいぞ!!!おいでよKAT-TUN沼!!!